道真や宗祇らも通り抜けた『苅萱関』


道真や宗祇らも通り抜けた『苅萱関』

「苅萱の関守にのみ見えつるは人もゆるさぬ道べなりけり」(菅原道真『新古今和歌集』巻第十八雑歌下)
大宰府の出入りを警固するために置かれた関所が、『苅萱関』でした。
苅萱関という名称は平安期、大宰府へ左遷された菅原道真の和歌に初めて登場します。

その後、筥崎宮の油座文書には、室町中期の永享10年(1438)、大内氏家臣で関守を務めた河内山承秀が、油商人の奥堂弥二郎大夫に対して、苅萱関の通行税を免除したことが記録されています。

室町期の文明12年(1480)、太宰府天満宮への参拝で訪れた連歌師の飯尾宗祗が著した紀行文『筑紫道記』にも苅萱関が登場します。
宗祗が、関所を通過した際、「かるかやの関にかかる程に関守立ち出でて我が行く末をあやしげに見るもおそろし」と書き記しました。
そして、「数ならぬ身をいかにとも事とはばいかなる名をかかるかやの関」という和歌も詠んでいます。

苅萱関は、室町期末まで存在したものの、戦国期に廃止されたそうです。
現在、『苅萱の関跡』の碑が残っています。

【参照サイト】

福岡県観光情報 クロスロードふくおか
https://share.google/HP9bYTridCM73VyHg

大宰府の文学:公文書館だより㉑『大内時代の苅萱関』
https://share.google/Z1HVuXBTiXf7eZ9Q4



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